現在の状況について
今はどんなお仕事をされているんですか?
水産企業で「世界中の魚を食卓に届ける仕事」を行っています。
どういった経緯でいまの仕事にたどり着いたんですか?
Jリーグで6年間プレーした後、家業が水産業ということもあり同業界にもともと興味がありました。最終所属チームのアスルクラロ沼津からは更新のお話も頂いていましたが、自分の中でサッカー以外の世界にも興味があり、知り合いの社長さんにお願いして採用いただきました。
他に選択肢はありましたか?
そうですね。それこそ大学4年生の頃はプロになれると思っていなかったので就職活動をしていました。業界は問わずサッカースクールや不動産など。ですが、Jリーグで6年間プレーした後、アスルクラロ沼津退団の際は水産業に絞っていました。いずれ実家のお仕事もしたいなと考えていたので。
現職に向けて事前に準備したことはありますか?
プロ選手時代は時間がかなりあったので、時間を無駄に使わないようにセカンドキャリアにむけた勉強や読書などの学びはしていました。あとは心構えですかね。水産業であればなんとなく小さいころから家の仕事もみていたので。どんな世界でも知識だけではやっていけないので、経験を通して身につけるしかないかなって考えていました。
サッカーキャリアやサッカー感について
サッカーキャリアを教えていただけますか?
小学生の時にサッカー少年団で始めました。中学時代は全国優勝もしている地元の日比野中学校ではなく、遠くの刈谷81FCと言うチームに通いました。その後、三重県の四中工に進みました。
高校では全国大会なども出場しましたが、プロからは声がかからず当時これから強化していくからとお声がけ頂いた北陸大学に進学しました。
どういった理由で進学先を決めてきたんですか?
高校は全国大会に出れる強豪校にいきたいなって考えていました。中学生の時に地理的に近いってこともあって、四中工と練習試合する機会があって。その試合で評価いただけたようで、声をかけてもらい進学しました。
高校では全国大会なども出場し、プロになれたらなって少しは思っていましたが、中心選手ってわけでもなかったのでプロからオファーはありませんでした。でも、まだプロになれる可能性はあると思っていましたので、大学へ行って4年間でレベルアップしようって思いました。北陸大学に進みました。北信越リーグになりますので、やっぱり大学リーグの中でも関東や関西よりはレベルが高くないんですよね。ですが、当時ちょうどチームを強化していくプロジェクトの2年目にあたる年で、試合に出れそうだっていうのと、サッカー環境も素晴らしかったので北陸大学を選びました。
その後、プロの座をつかみ取ったんですね。
はい、運もありましたがツエーゲン金沢に入団することができました。
大学時代にチームから何人かツエーゲン金沢の練習に参加してた時期があって。その時に自分も呼ばれて、そこそこのプレーが出来ました。あくまで練習の人数合わせで呼ばれてるとは思いながらも、自分ではチャンスと捉えがむしゃらにプレーしてたのを覚えています。何回か参加した後に、評価いただいてオファーいただきました。本当に嬉しかったですね。

狙い通りなキャリアにもみえますが?
いえいえ、全然ですよ。高校時代もチームは全国大会にでているもの、3年間レギュラー定着できませんでした。大学も地方リーグで、かつ試合も出たり出なかったりでした。
ただプロになるっていう目標は忘れることなく努力は続けました。大学4年生になって輝かしい実績があったわけでもなかったので企業への就職活動も並行して行っていました。5月頃には3社ほど内定いただきましたが、最後の最後まであきらめずプロもあきらめず取り組んでました。そしたら10月頃ですかね、ツエーゲン金沢から正式なオファーを頂けて入団した感じです。
なぜプロサッカー選手になれたと思いますか?
そうですね。ラッキーだったというのもありますが、最後の最後までどんな時も手を抜かずにサッカーをやってきたからですかね。絶対どこかで見てくれている人がいますから。
プロ生活はいかがでしたか?
ツエーゲン金沢で5年間、アスルクラロ沼津で1年間の計6年間プレーしました。ツエーゲン金沢では評価をいただいて試合に出れる時期もありましたし、J3からJ2に昇格の経験もさせて頂きました。ただやっぱり昇格のタイミングで半分以上の選手が入れ替わったりもするので信頼を勝ち取り続けるのは難しかったですね。5年プレーした後、まだ自分の中では上手くなれる感覚はあったので引退の道は選ばず、トライアウトを受けてJ3のアスルクラロ沼津に入団しました。結局在籍は1年間でしたが様々な経験できたかなと思います。


アスルクラロ沼津では1年間だけプレーされたんですね?
はい1年間だけでした。チームからは契約更新のオファーは頂いていたのですが。
何か心境の変化などがあったのでしょうか?
そうですね。うまく伝えられないのですが、まだプレーは通用すると思っていました。J3だとFC東京やセレッソ大阪などU23チームと対戦することがあるんですが、17歳とか18歳とかの選手が対戦相手にいるんですよね。これから伸びてくる若い子達に勝てると思えなくなったんですよね。私自身がなんでも1番になりたい性格だからこそ、サッカーで勝てないことを認めざるを得なかったんだと思います。ですが、ビジネスでは自信があったので、人生100年の時代とも言われていますが、次のステージで勝つためにも早いタイミングでビジネスの世界に移るのもありかなって決断しました。


サッカーを通して身に着けられたと思うことはありますか?
沢山あります。サッカー選手でも気付けていない選手も多いのですが、どんな世界でもやっていることは変わらないですよね。勝利目指して試合を組み立てる、状況を分析して課題を見つける、課題克服のための策を打つ、トライアンドエラーを繰り返す。つまりPDCAを回し続けていますよね。何をするにもこの考えが適用できれば戦力になるし、活躍できるんです。
私はずっと中心選手でやってきていない分、どうすれば試合に出れるか?試合に出るために何が足りないか?それはどうやって改善するのか?などを継続して考えてきました。感覚でプレーしていくタイプの選手もいますが、自分は考える必要性に迫られていたのかもしれません。苦労は多かったですが、そんな環境だったからこそ今の自分があるので最高のキャリアだったとも考えています。
お仕事はどうですか?
具体的には、魚の仕入れをしています。朝2時か3時には市場へ出て、仕入れて、必要とされているお客様へ卸しています。良質な魚を選別する必要がありますので、最初は難しく苦労しました。少しづつお客様に評価いただいて、信頼関係も築けてきました。今ではだいぶ慣れてきましたが、毎日勉強だという気持ちは忘れず、お客様に良いモノを提供できるよう頑張っています。

よりよいセカンドキャリア準備のために
現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします
まずはサッカーを通して経験してきたことに自信を持ってもらえればと思います。そして、どんな世界でもその経験は活かせる事を知ってもらいたいです。全く同じ状況ではないですが、自分の中で転換し応用するだけですから。
なかなか未経験の世界に飛び込むのは勇気が必要ですが、応用がきくってことに気が付けば、なんでもできると思います。あとは、ほんの少しの勇気でいいかな。サッカーが上手い選手って小さい頃から1番だったと思うんですよね。そうやってきた人生において、サッカー以外の世界になると1番じゃなくなる。慣れないし、嫌だと思うんですよ。ただそれって当たり前の事で、誰だって経験します。誰でも最初は初心者ですから。プライドみたいなものは捨てて、自分の人生を豊かにするためにキャリア選択をしていってもらえればと思います。
具体的な事もやれることはあります
プロ選手や学生選手にも言えますが、時間は見つければあるので”やりたいこと”が見つからない内から、いろんな分野の人たちの話を聞いたり、繋がりを作ることが重要だと思います。あとはビジネスマナー(名刺の渡し方、メールの書き方)、パソコンの使い方(エクセルやパワーポイント)、お金の勉強や会社ってどうやって成り立ってるんだろとか知っておいて損はないと思います。無駄になることは1つもないので。考えて行動に移すことができればなんだってできると思います。とにかく時間を有効に使って、勉強して行動することですね。
自身の夢は
Jリーガーから魚屋になったパイオニアとしてサッカーと水産業を繋げていけたらと考えています。アスリートにとって魚は身体作りに最高の食べ物ですから。最終的にはJリーグチームのオーナーになることが夢ですね。

富田 康仁(とみた やすひと)1990年生まれ
出身:愛知県、ポジション:MF
サッカー歴:刈谷81FC⇒四中工⇒北陸大学⇒ツエーゲン金沢(2013年 – 2017年)⇒アスルクラロ沼津(2018年)
現在:水産企業