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阪南大学職員:サッカー部員から大学職員へ。2人はなぜその道を選択したのか?vol.2

それぞれ幼少の頃から強豪チームでプレーし、将来はJリーガーを目指し阪南大学へ進学された角井さんと森田さん。大学卒業後はサッカーとは違う「大学職員」の道へ。サッカー界以外へ進むことを決めた気持ちの変遷、大学職員という仕事を選択した2回にわたりお話を伺いました。【vol.1 はこちら

角井康寛

1978年大阪府高槻市出身。小学校1年生より地元・高槻松原でサッカーを始める。中学・高校はフジタ(現湘南ベルマーレ)の系列チームへ。その後、阪南大学へ。

森田隆廣

1991年静岡県静岡市清水区(旧清水市)出身。幼稚園年中より地元・清水FCライオンズでサッカーを始める。中学進学を機に静岡学園へ進学、高校卒業後は阪南大学へ。

プロフィール

阪南大学サッカー部(はんなんだいがく)
これまで多くのJリーガーを輩出してきた関西の雄「阪南大学」。「Revolution’ ON!!」を胸に「仕掛けて崩す」サッカーで日本一を目指す。また、地域の子供たち向けにサッカー教室を開くなど、地域との交流も大切にした街の大学サッカー部です。
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サッカーキャリアやサッカー感について

ーー現在もサッカーはしていますか?
角井:卒業して数年はサッカー部コーチのお手伝いをやっていました。現在は各カテゴリーに専属コーチがいることもあり練習には参加していません。プライベートでフットサルをたまにやる程度ですかね。
森田:私も同じでたまに友人とフットサルをするくらいです。

サッカーキャリアを教えていただけますか?

角井:小学1年生から地元の高槻松原SCでサッカーを始めました。メンバーも揃っていて強いチームでした。中学からはフジタ(現湘南ベルマーレ)の系列チームが大阪にもあって、そこで高校卒業までプレーしていました。大阪府選抜の練習会に参加していたのですが、3年生になる頃にはみんなとの会話で進路の話が出てきました。Jクラブに進めなかったら大学に進学したいなって仲間とも話していて。その頃から色んな大学の情報を調べてました。

角井さん(上段左から4人目)



ーーその後、阪南大学を志望されたんですね?
角井:はい。フジタの一学年上に阪南大学へ進学した先輩がいて。「面白いサッカーするで」って言ってたんですよね。すごく上手い方で、そんな先輩が面白いって言うくらいなんで自分もそんなサッカーを体感してみたいって思いました。
なんとか入学することが出来、早々にトレーニングに参加させてもらいました。プロサッカー選手になるために阪南大学を選んだものの、初回の練習参加時にあまりのレベルの高さに4年間でレギュラー取れるのかって心配に思ったのを覚えています。

ーー角井さんにとって4年間はどうでしたか?
なんとか食らいつきながら4年間サッカー中心の生活を送りました。ですがプロサッカー選手になることは出来ませんでした。でも悔いなくやりきれたかなって考えています。入学時の目標は叶いませんでしたが本当にいい経験だったなって。いま仕事を頑張れている礎にもなっています

ーー森田さんはいかがですか?
森田:静岡県の清水出身なんですが、サッカーがとても盛んな地域で幼稚園の年中からサッカーを始めました。地元の清水FCに所属し、中学から静岡学園へ進学しました。高校時代も卒業後プロの道へ進めたらなって思っていましたが、3年生になってからもJクラブからはオファーがありませんでした。
大学進学を検討していたところ、縁があり夏休み期間中に筑波大学の練習会へ1週間ほど参加しました。レベルも高く4年間ここで頑張ってプロの世界へって考えていました。ある程度手ごたえはありましたが、当時SARSの影響なんかもあり正式に合格を頂けませんでした。結果が出た頃には高校3年生の冬で、他の関東の強豪大学はほぼ進学者が決まっている状況でした。

ーーその後どうされたんですか?
森田:ありがたくも地元静岡の大学からお誘いをいただいていて進学予定でした。ですが、そのタイミングで阪南大学サッカー部の須佐監督から直接ご連絡をいただきました。状況を伝えると静岡駅まで来ていただいて直接お誘いを頂きました。お話しをいただいていた地元静岡の大学もサッカーに力を入れていたこともあって進学しようと心に決めていました。ですが、須佐監督の熱意に心を打たれ話が終わる頃には阪南大学でプレーしたいって気持ちになっていました。この監督の下であれば自分のレベルアップにつながるし、勝利に貢献したい、勝利に貢献することでプロサッカー選手を目指そうと決意しました。

ーー推薦枠で入学されたんですか?
はい。阪南大学ではスムーズに進路が決まらず、サッカーを続けたいといった選手を一人でも多くプレーの機会を提供できるように1月までサッカーでの入学枠を残しています。高校サッカーで言うと冬の全国選手権までプロを目指していて、でも進路が決まってない選手にサッカーの場を提供したいという狙いもあるようです。

ーー大学卒業を機に大学職員として働かれていますが、J3やJFLなどのカテゴリーでサッカーを続けようとは思わなかったんですか?
森田:先ほども少し触れましたが、高校生の頃から自分の中では第一線(J1、J2)でプレー出来なければフィールドをサッカー以外へ移すと決めていました。とにかく大学4年生までは全力を尽くそう、それでだめならきっぱりと諦めようって。
小さい頃からプロサッカー選手を目標にサッカー中心の生活を送ってきましたが、両親の教えもあり冷静に現実と向き合えていたのかなって思います。人生においてその気持ちの切り替えはひとつ重要なポイントかもしれません。

ーーどういうことでしょうか?
森田:これまでたくさんの阪南大学の卒業生を見てきましたが、そういった気持ちの切り替えがスムーズにできる選手ってサッカー以外の世界に出ても活躍している人が多い気がします
プロサッカー選手を目指し入学してきて、夢が叶わなかったとしてもその現実としっかり向き合い、気持ちを切り替えて次の世界へ向けて努力を行う。そういった気概は非常に大切だと思います
自身が在籍したチームだからってこともありますが、ここ阪南大学サッカー部では多いときは200名近い選手が集まりレギュラーの座を奪い合い、チームとして勝利を目指します。そんな中、誰一人としてレギュラーが約束されておらず「自分で考えて、行動して、結果を出す」ことを嫌でも4年間求められます。その過程で身につけたものは発想の転換次第で何にでも活かせる証明かなって

森田さん(下段左から2人目)

よりよいセカンドキャリア準備のために

サッカーで身につけたことで仕事に活きていることはありますか?

角井:集団スポーツをやってきたこと全てが活きていると思います。仕事も集団で動きますので、バランスを取ったり、適材適所を考えたり。今いるメンバーでいかに良い結果を出すかってことを1番に考える癖がついています。大変な事もありますが、現在の職場でもメンバー全員でフル回転していかに最大限の結果が出せるかを考えながら業務に取り組んでいます。

ーー森田さんはいかがですか?
森田:沢山ありますが、一番はハートが強くなりましたね。へこたれないと言うか今ではストレス耐性がかなりあると思います。幼稚園の頃からサッカー一筋で過ごしてきて、大好きなサッカーで何度も悔しい思いや挫折を経験しました。
めちゃくちゃ好きな世界での様々な経験、人生をかけてきた世界での上手くいった事、いかなかった事を経験していますので、仕事で「これはできない」とか「絶対無理だ」とか考えることは全くありません。
幼少の頃から大学生までのサッカーを通して、考える力や負けない気持ちを身につけられたかなって思います。だめなら、良くなるように考えて行動する。これだけです。人生はこの連続だと思いますので。

現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします

角井:セカンドキャリアって大事なんですけど、今やれることを100%の力でやることが重要だと考えています。次の課題に直面した際にも100%で取り組む。そうするとどんな場面でも同じような力が発揮できるはずなので。阪南大学サッカー部の須佐監督の教えでもあるんですが「とにかく物事を突き詰めろ。そうすることで思考の底が広がるから」と。目の前の事柄に全力を捧げることで人間力みたいなものを養って、別の課題や岐路にたった際にもその力を活かす。その連続だと思います。
いまサッカーがやれる環境があるならただ漠然と取り組むのではなく、自分が得意なプレーって何?とかチームのために何が出来るのか?などなんでもいいので深く突き詰める考え方を持ってみるのはいかがでしょうか?必ずその考え方は違う世界でも活かせると思います。

ーー森田さんはいかがですか?
森田:角井さんの言う通り、何事も突き詰めてもらいたいですね。プロになれなかったとしても、大好きなサッカーがやれる環境が目の前にあるのであれば毎日真剣に楽しんで取り組んでもらえればと思います。
また、サッカー以外のことにアンテナを広げることも大切かなって考えています。自分が1番頑張りたいことへのヒントになることもありますので。阪南大学に来ていただければ私たちがサポートしますよ。

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