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女子サッカーお笑い芸人ひでか:「お笑いとサッカーの二刀流」

プロフィール

ひでか 1991年生まれ
出身地:大阪府、ポジション:GK
現職:お笑い芸人(吉本興業所属)
サッカー歴:大阪私立星翔高校⇒Tyler Junior College (アメリカ)⇒Northwood University (アメリカ)⇒GS United FC (カナダ)⇒Peninsula Power FC (オーストラリア)⇒Western Spring FC(ニュージーランド)
サッカー成績:2011年全米大会優勝(アメリカ)、2015年全加大会ベスト4(カナダ)、2016年ブリズベン州リーグ優勝(オーストラリア)、2017年オークランド州リーグ優勝(ニュージーランド)

現在の状況について

今はどんなお仕事をされているんですか?

吉本興業所属でお笑い芸人をやっています。積極的に活動を行っており女子サッカー芸人として活動しています。「女子サッカー芸人と、しゃべくり漫才の二刀流」をコンセプトにやらせていただいています。芸人でも2つの顔を持っててもいいんじゃないかなって。女子サッカーの営業がきっかけでお笑いを見に来てくれたり、漫才をきっかけに女子サッカーを観戦にきてくれたりと両方の活性化につながれば嬉しいなって考えています。

どういった経緯でいまの仕事にたどり着いたんですか?

小学校低学年にはお笑い芸人になりたいなって思っていました。両親も大阪人で子供のころから身近に吉本新喜劇など”お笑い”がありました。小さいながら人を笑わせたいって思ったのを覚えています。26歳まで海外でサッカーをプレーし、その後、吉本総合芸能学院(NSC)へ入りました。

 - 高校卒業後アメリカへ行かれたきっかけは?
父親の一言です。高校3年生ごろに卒業後の進路を決めかねている時、父親に言われたんです「アメリカいってみーや」って。最初はなんでって思いましたけど笑。それまで英語の勉強もろくにしてませんでしたから。でも、今ではめっちゃ感謝してますね。一人娘の私を18歳で海外によく出してくれたなって。

 ー なぜ父親はアメリカを進めたんですか?
誰かにいわれたんちゃうかな笑。父親は野球やってましたし。単純な発想で女子サッカーと言えばアメリカってなったんでしょうね。

 - どういうきっかけでアメリカの大学に進学したんですか?
海外でのプレー希望者を募ってアメリカへサッカーの試合をしにいく仕組みがありました。他の参加者は大学なんかで第一線でやってた方ばかりでしたね。その中にぽつんと高校生の私がいて笑。アメリカへ行って、数試合してオファーを待つ感じです。その中の1つの大学からオファーをいただいて進学しました。日本人は私一人で、枠を確保したから来ていいよって言われて。なんと、その後の手続きなんかは全て自力でした。
ほったらかしだった状況が、功を奏して?自分でやる力や英語力が身に付きました。あまり進学先の大学の情報がない中、サッカーをやりたい、英語に触れたいという思いが行動力になったんだと思います。
行ってから分かったんですが、サッカーのレベルがめっちゃ高くて。進学後すぐに大学の全米大会で優勝しました。無知って怖いなって。今思うと、サッカーのプレーだけでなく、海外への進学の手続き、生活、全てにおいて自分で切り開けるかを試されていたんやと思います。

 ー ご自身はその進路選択に心配はありませんでしたか?
はい。全くありませんでした。一言で言うとノリでやってきましたが。高卒の段階では卒業後もサッカーやりたいなってその一心だったんでなんとかなるやろって。なんでもやってみないと分かりませんから。

現職でのやりがいはどんなところですか?

終わりが見えないところですね。えっと思われる方もいらっしゃると思いますが、常に非日常が味わえて、私にとっては安定が不安定、不安定が安定なんですよね。これまでの人生もそうでしたが。頑張った分、自分に返ってくるし、だめだったら落ちていくし。でも、その落ちていく過程も楽しめるんですよね。例えば一般的には浮気とかされたらめっちゃショックなんですけど、お笑いの世界だとめっちゃええエピソードになるんですよ。マイナスすらもポジティブです。こんなええことないです。

サッカーキャリアやサッカー感について

サッカーキャリアを教えていただけますか?

 ー 小さいころからサッカーをやっていたんですか?
小学生の頃はソフトボールをやってました。中学に進んだ時にソフトボール部がなくて。で、そのころ日韓W杯をちょうどやっていたのでサッカーやろうかなって思ったんですが、これまた中学にサッカー部がなくて。それで近くのクラブチームに入りました。そのコーチの勧めでGKを始めて、それからGK一筋です。小難しい駆け引きはあまりしないタイプです。ボールが来たら飛びつく。止める。それだけです。そのシンプルなプレーがなかなかできないんですけどね。とにかくトレーニングを積んで努力でカバーしてやってきました。

 ー サッカー選手としての引退はいつされたんですか?
26歳のころ、ニュージーランドでした。プレイヤーとしても毎日トレーニングに励んでいましたが、面白動画配信とかもしてたんですよね。何となくですが、サッカーより動画を作ることが楽しくなってきました。これまで好きでサッカーをやってきましたが、なんとなく最近は惰性でやってるなって思いが出始めて。

 - その後どうされたんですか?
紙にばぁーってやりたい仕事リストを書き始めました。表現ツールみたいな。それでやっぱりサッカーってなれば現役を続けようかなって。
まずは表舞台に出たいか裏方か。で、表に出たいって思いました。サッカーで?歌で?絵で?ダンスで?
色々と考えましたが「サッカー下手やな」って言われてもふーんくらいやったんですけど、「おもろない」って言われたらむかつくなって思ったんですよね。この思いこそがいま自分が一番やりたいことやって。
そこからは早かったですね。ニュージーランドからNSCの願書を実家に取り寄せて、帰国日を決めて入学しました。NSCは1年間で4月から3月です。卒業すると吉本興業へ所属できるようになって、そこからは実力の世界でそれぞれ頑張れって感じです。

よりよいセカンドキャリア準備のために

サッカーで感じてきたことはどんなことですか?

上下関係、挨拶、横のつながりの大切さ。逆に狭い世界だからこそ感じた視野の狭さ。
海外へ出て、さらに思いましたね。もちろんサッカーが上手くなるってことも大切ですが
人間性がプレーにも出ますから。自分がして欲しいプレー、相手がして欲しいプレー考える。私生活でも同じです。上手ければ偉そうにしていいってもんじゃありませんから。技術うんぬんじゃないんです。少しはサッカーを手段として人間力を身に着けられたかな思っています。

 - 今のお仕事に活きていることはありますか?
公演でも話しますし、自分でもめっちゃ思っていますが「自分引くサッカーは何が残るか?」を必ず問いかけます。若い世代の皆さんに必ず話します。そのクエスチョンに対していかに向き合えるか、自問自答を繰り返すことで何かがみつかると思います。サッカーだけの世界で勝負するのも一つの考え方ですが、色んな経験を積む大切さ、サッカーバカにはならないようにと伝えています。人生の可能性は無限大ですから。

将来のキャリアパスはありますか?

夢の一つはかなったんですよ、お笑い芸人になるって。もう一つは芸人の聖地、なんばグランド花月(NGK)で引退することです。芸人界でNGKってサッカーでいう国立、野球でいう甲子園みたいなもんなんです。そんなNGKで引退できるってことは、吉本にも認められた師匠クラスなんですよね。そのくらい芸人として活躍できたらって考えてます。

現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします

人生はネタ探し、失敗を成功に変えるのも自分次第だと思います。サッカー以外のことにも目を向けてほしいですね。サッカーに依存しすぎないこと。1日5分でもいいんです。サッカー関係以外の誰かと話すでもいい。大人子供関係なく、アンテナを張って欲しいです。そういった行動を繰り返すことで「自分 - サッカー = 〇〇」につながってくると思うんですよね。
そうすることでサッカーで自信を持てなくても、他の何かで自信がつくこともありますから。特に日本人は自分に自信を持っている人が少ないです。数少ない人生の中で訪れたチャンスをものにできるか、できなかって、この自信があるかないかとだと思うんですよね。同じチャンスは二度ときませんから。
なんでもチャレンジをして、面白がることをやってほしいですね。何か行動をすれば何かが起きますから。何もしなければ何も起きません。選択肢を自分で増やす。刺激を増やす。これが人生を通して最も大切だと思います。