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住職:地域の皆さまに愛される存在でありたい。サッカー経験を通して得た気付きとは?

プロフィール

梅村 晴貴(うめむら はるき)1995年生まれ
出身地:静岡県 ポジション:MF
サッカー歴: 城北SSS⇒ジュビロ磐田U-15⇒ジュビロ磐田U-18⇒ジュビロ磐田⇒カターレ富山⇒Jリーグ・アンダー22選抜⇒FCマルヤス岡崎(期限付き移籍)
現職:住職

現在の状況について

今はどんなお仕事をされているんですか?

静岡県島田市のお寺、曹洞宗 林入寺で住職として働いています。

ー 日々どういったことをされているのですか?
様々なことを行っていますが、法要や法事がありますのでその準備やお寺の掃除など色々です。最近だと風鈴まつりというイベントがありましたので出店されるお店の手配や風鈴の準備なども行いました。

現職までの経緯

ー 現職に決めたきっかけは?
妻の実家がお寺だったこともあり引退後のキャリア選択として住職がありました。引退時にはこれまで在籍したカターレ富山やジュビロ磐田などから指導者としてのお話も頂いていましたが。
全くお寺の世界が分からなかったので、すぐにはその道を選択せずにとにかくサッカー以外の社会経験を積みたいなと考えていました。名刺の渡し方も知らなかったので、そういった社会経験を積むって意味でも一年間は経験したいなって。
マルヤス工業FCのチームスタッフとして働くことができ、いずれお寺を継ぐことを視野に入れ妻と相談しながら日々を過ごしていました。

ー 住職になるのも簡単ではないと思いますが?
まずは修行体験に参加しました。本当に本当にきつかったです。その時は絶対お坊さんにはならないぞって思いましたね。笑
ですが、自分がその職業にチャレンジできる環境や妻と一生暮らせる嬉しさもあるなって。住職として一人前になって、サッカー界へ恩返しじゃないですけど何かしら関わっていけたらって思いもありました。地域に根付いたお寺を活かしながらサッカー関係に繋がっていければいいなって。そんな思いもあり簡単ではないだろうと分かっていましたが決断しました。

ー どの程度修行されたんですが?
2年2ヶ月間、神奈川県で修業をしました。毎日早朝から夜遅くまで修行に取り組みました。食事も控えめで、厳しい規則に従った生活でした。一切外部との連絡や接触を断ち、100日間が経過すると文通ができるようになります。その後、ゆるやかに外部との接触が出来るようになっていきますが、ちょうどコロナ過でもあり1年間は妻にも合うことができませんでした。
今思うと修行は非常に厳しいものでしたが、自分自身と向き合い続け、精神的な成長を遂げることができとた実感しています。
2年間の修行を終え、この道を進むことを改めて決心しました。これまでの経験と学びを活かし、人々に寄り添い、お寺の仕事を通じて皆様の心の支えとなれるよう努めていければと考えています。

ー 修行に活きたサッカー経験はありましたか?
はい。沢山ありましたが1番は体力面でしたね。本当にサッカーをやっていて良かったなと思いました。次に忍耐力ですね。サッカーを通して忍耐力がこれほど身に付いてたんだって再認識できました。修行に入って最初の1週間は朝3時から夜9時まで座禅をするんですね。それを1週間乗り越えると、次の新しい課題が始まります。その時に思ったのが、サッカーの走りの方がきつかったなということでした。笑
修行に来た他の仲間も人生をかけてきていますので、それぞれこれまでの経験を糧に頑張っていたのだと思います。

引退までの経緯

ー 引退はいつ頃意識されましたか?
プロ選手になってすぐに膝を怪我してしまいました。少しずつ良くなり復帰したのですが、必ず練習前、試合前は入念にストレッチだったり、補強トレーニングも欠かさず行っていました。
ある日、一度だけ練習前のストレッチを軽めに済ませてしまった事がありました。その日のトレーニングは何事もなく終えたのですが、夜になんだか膝に違和感が出てきたんですよね。痛みまではいかないものの、その違和感がすごく気になり、このままプロ選手として活躍し続けていけるのかなって不安になった事を覚えています。それが最初に”引退”が頭をよぎったタイミングでした。

ー その後、膝の具合はいかがでしたか?
怪我と付き合いながらプレーを続けていましたが思ったような結果を残せない日々が続きました。ただ「怪我でパフォーマンスが上がってこない」と「結果が出ない」は別だと思います。
サッカー選手であればみんな何らかの怪我の経験があるだろうし、活躍する選手もいますので。
プロになって3年間で結果が出なかったら引退しようと決めていました。ユース時代の恩師、鈴木秀人さんにも言われていました。「プロで活躍し続けるには最初の3年間が勝負だぞ」、「結果を出すことが重要だぞ」って。長らく第一線で活躍された秀人さんが言うんだから間違いないなって。自分もそれは肝に銘じていました。

ー 5シーズンでプレーされたんですね
幼少の頃から打ち込んできたサッカーなので長くプレーしたい気持ちはありましたが、中途半端な気持ちで続けたくないなって考えていました。ただプレーできた期間が短かったこともあり5年目まで挑戦を続けました。
背水の陣で臨んだ5年目はプロ入り後、初めて怪我で休むことなくシーズンを通してプレー出来ました。でしたが想像していた結果を残すことは出来ませんでした。
プロ入り前のビジョンは3年間ジュビロ磐田で結果を残し、4年目から海外でプレーするイメージで語学の勉強も行っていました。
純粋にサッカーが好きでレベルはどうであれ現役を続ける選択もあると思いますが、私にはその選択肢はありませんでした。年齢的にもまだ動けましたが引退を選択しました。違う世界へ挑戦するタイミングかなって。

サッカーを通して得た経験はどんなところですか?

先ほども少し触れましたが一番は忍耐力ですね。怪我もあり歯がゆいシーズンが多かったということもありますが。怪我と長らく付き合ってこれたことで多少の辛いことは我慢できるようになったと思います。
今思うとサッカーの技術も大事ですが、やっぱり怪我をしない選手が最も良い選手だと感じています。

ー 仕事でも活きているサッカー経験はどんなところですか?
現役時は主にボランチやセンターバックでプレーしてきました。どちらかというと守備もこちらから仕掛けて積極的にボールを奪いに行くタイプでした。現職でもまずは地域の皆さまに知っていただく、コミュニケーションを取りたいと様々な場面に顔を出し挨拶させていただきました。
最初は怪訝な顔で見られることもありますが、地域の皆さまそれぞれのスタイルに合わせてお話しさせていただき、自分の事を知っていただくよう努めています。
地域の皆さまに優しく接していただけて非常に感謝しています。まだまだ駆け出しで未熟だなって思うことが沢山あるので、もっともっと勉強して行きたいと思います。

ー ユース時代にオーバートレーニング症候群になったと伺いました
ユース時代に2種登録でトップチームのゲームにも帯同できるようになりました。活躍したい気持ちが強すぎたのかオーバートレーニング症候群になってしまいました。その時に上手く手を抜きながらやる術も身に付けないとなって思いました。
手を抜くっていう表現が正しいのか分かりませんが、上手く自身をコントロールして考えながらやれたらなって。「悩む」と「考える」は違いますから。

よりよいセカンドキャリア準備のために

今後の目標はありますか?

全国的に寺離れが進んでいると言われていますが、昔ながらの地元の子供たちがお寺で走り回るような環境が作れたら嬉しいなって思います。日々の仕事を丁寧に進めながら、サッカー経験を活かしたイベントなどを通して、皆さまが気軽に足を運んでいただけるようなお寺になったらなって。
例えばですがお寺でアスリートのトークショーをやったり、イベントの風鈴まつりでは地元のジュビロ磐田や藤枝MYFCの風鈴を準備しました。お寺が地域の中心になって、人々が集まる場所になれるように頑張りたいです。

現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします

何に対しても楽しんで取り組んで欲しいですね。純粋に大好きで、得意で続けてきたサッカーを仕事って捉えてしまうと、なかなか上達していかないかなって。
どうすれば楽しくできるのか?その先に上達や活躍があるんじゃないかなと思います。

【梅村さんの現職のご紹介

林入寺は静岡県島田市にある、曹洞宗の寺院です。


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