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アパレル企業: 廣瀬智靖「元アスリートは社会人としての人材の宝庫。自信を持って何事にもチャレンジあるのみ」

NEW 2021年8月スタート

元Jリーガー廣瀨が事業責任者を務めるプロジェクト「I’ll be」
オーダーで洋服を作るだけでなく、収益の一部で子供達が平等にスポーツができる環境整備や、アスリートのセカンドキャリアのサポートなど、収益確保と社会課題の両立を目指しているプロジェクトです。

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プロフィール

廣瀬 智靖(ひろせ ともやす)1989年生まれ
出身:埼玉県、ポジション:MF
サッカー歴:前橋育英⇒モンテディオ山形⇒徳島ヴォルティス
現在:アパレル企業(株式会社トゥモローランド)

現在の状況について

今はどんなお仕事をされているんですか?

アパレル企業の株式会社トゥモローランド日本橋髙島屋S.C.店に勤務しています。

どういった経緯でいまの仕事にたどり着いたんですか?

徳島ヴォルティス在籍時に、オフを利用して東京によく来ていました。ヘアーサロンroraimaの古田さん(美容師)に、徳島にあるアパレルブランドNALUTO TRUNKSの山口輝陽志社長を紹介いただきました。
自分の中ではサッカーをやり切れたら、新しい世界でチャレンジしたいという思いが以前からありました。当時は少しずつその思いが明確になっていた頃でした。小学校からサッカーしかしてきていないので、好きなこと以外は仕事にできないと思っていました。次のキャリアでも好きなことを仕事にしたいという考えだったので、サッカーの次に好きなファッションの世界に行くことは、自然な流れでした
ただ、ファッションは好きでしたけど未知の世界なので、洋服の基礎知識や技術、社会人としての経験を身につけたいと考えていました。そんな思いを山口さんに話したら、「洋服の基礎も学べるし、働いてる人も良い人が多いから、トゥモローランドがいいと思う」とお薦めいただいたのが入社のきっかけです。

他に選択肢はありましたか?

いえ、特にはありませんでした。ファッションの世界に行くと決めていたので。

現職に向けて事前に準備したことはありますか?

ゼロからのスタートだったので、まず洋服の基礎を勉強できる本を何冊も買ってましたね。あとは実際にトゥモローランドの店舗へ行って、働いてる方に話を聞いたりしてました。とにかく経験を積むことが重要だと考えていたので、入ってしまえば何とかなるとは思っていました。
入社して最初の2、3か月は、今思うとかなり辛かったですね。知識や経験も無い状態のまま店頭に立ったり、日々の業務をしたり。朝は1番早く来て、夜は1番遅くまで接客技術など先輩に教えて頂き、吸収の毎日でしたね。ただ新しい事を学べて、出来ることが増えていったのでとても充実してました。
そのあたりはサッカーと通ずる部分はあると思った記憶があります。朝練や居残り練習と一緒で、自分の成長のために時間を投資する考え方や、この行動は何のためかを意識しながら毎日働いてました。苦労もありましたけど、自分の提案がお客様に喜んで頂いたときは嬉しかったですし、一緒に働いてるスタッフにも喜んでもらえることもとても嬉しかったです。

サッカーキャリアやサッカー感について

サッカーキャリアを教えていただけますか?

小学生1年生にサッカーを始めました。小学校3年生に江南南サッカー少年団に入り、中学時代はクマガヤSCでプレーしました。そして高校は少し家から遠かったですが、前橋育英に進学しました。高校時代は、世代別の代表にも呼んでいただきました。その後、モンテディオ山形に入団し6年間プレーして、徳島ヴォルティスへ移籍して2年間プレーしました。J1で4年、J2で4年の計8年間Jリーグでプレーし引退しました。

中学卒業後、Jクラブユースや強豪校からの誘いがありながら前橋育英に進学されたんですね?

はい。中学の後半まではプロになりたいというのはなくて、ただサッカーが楽しかったので夢中でやってました。中学3年生になってからですかね、高いレベルのチームに進みたいなと考えたのは。Jリーグの下部組織からもお声がけいただいていました。とても悩みましたが、部活に進んだ方がサッカー以外の学べる幅が広がるかなと考えて前橋育英に進学しました。前橋育英のサッカーはとても魅力的だったこともあって。

前橋育英での3年間はいかがでしたか?

入学してすぐにトップチームでプレーをしていました。全国から良い選手が集まっていたこともあり、先輩達のレベルが高くて最初はびっくりしました。ただやれなくはないなと感じたのを覚えています。結果を残す事で試合にも出れるようになり、高校2年の頃にはJクラブから練習参加のオファーを頂いたり世代別の代表にもよばれるようになりました。その頃はすごい忙しかったですね。部活、代表、Jクラブ練習参加と目まぐるしい生活を送っていました。
その後の進路については、前橋育英の10番ってみんなプロに進んでいたので自然とプロに行く流れでしたね。そういうもんだと思ってそれ以外の選択肢は考えていませんでした。
プロにいこうと考えていたのですが、3年生の春のプリンスリーグでしたかね。翌日から代表合宿でドイツへ行く予定でした。たしか市船戦だったと思うのですが、肉離れしてしまって。それが半年くらい長引いたんですよね。なんとか冬の選手権は間に合いましたが、大事な時期に怪我したこともありJクラブからは具体的なお誘いはありませんでした。
大学強豪校からはお話しを頂いてましたが、厳しい世界に身をおき、早くトップレベルに挑戦したかったのもあって、大学の選択肢はありませんでした。大学へいくと自分の性格的に甘えちゃいそうだったので。プロから誘いがなければ辞めてもいいかなくらいに思っていました。そんな風に思いながらも3年生の冬の選手権で結果を残せて、モンテディオ山形からオファーいただくことができました。かなりギリギリになりましたが笑。

最初に入団されたモンテディオ山形ではいかがでしたかか?

プロの厳しさを知りました。高校までは試合に出ることが当たり前でしたが、入団1年目は1試合しか出れませんでした。とても悔しい思いをしましたが、早く試合に出れるように毎日練習が終わっても個別で練習してましたね。個人としては1年目は悔しい1年でしたが、クラブとしては初めてJ1に昇格しました。山形県全体が盛り上がり、とても良い雰囲気でプレーしたのを今でも鮮明に覚えてます。2年目にはレギュラーを掴めたことと、J1の舞台で活躍できたのは嬉しかったですね。自信になりましたね。
山形はサッカーに集中できる最高な環境でした。ご飯も美味しい物ばかりですし、何より人がとてもあたたかいです。高卒で入ったということもあり、クラブの先輩や地域の方々には本当に色々な面で支えていただきました。自分の人生のベースができた6年間でしたね。引退した今でも、お世話になってる方やサポーターの方に、さくらんぼやラフランス、お蕎麦などお送り頂くのですが、感謝してもしきれませんね。

(C)MONTEDIO YAMAGATA
(C)MONTEDIO YAMAGATA

その後のヴォルティス徳島ではいかがでしたか?

徳島ヴォルティスがJ1に昇格した年に山形で指導してくれた小林伸二監督が徳島の指揮を執ることになって。そのタイミングでオファーをいただき、移籍しました。移籍した1年目は怪我などもあり中々試合に絡めなかったですが、2年目は充実したシーズンを送ることができました。
山形と同様にサッカーに集中できる環境は整っていましたね。鳴門に住んでいましたが、海がすぐ近くにあってとても好きな場所です。

徳島時代に引退を決めたのはどういった理由ですか?

当時26歳で、まだまだ選手としてはやれる年齢だったと思います。引退した理由は、自分の中で悔いなくサッカーをやり切れたからです。引退した年はキャリアハイの結果を残すことができました。プロの世界では戦力外通告を受けたり、怪我でプレーできなくなって、チームから離れる人がいます。それはプロとして当たり前のことなんですが、自分のやめる時は自分で決めたいという思いがありました。サッカーをやめてもキャリアは続きますし、プロになる事がゴールではないと両親や祖父母からもそう言われてました。
引退を決めた時は、ありがたいことにチームメイトや関係者の方からは「まだ全然プレー出来るんじゃない」とは言ってもらってました。まだまだ上手くなれる、活躍できるとも考えていましたが、そんな中途半端な気持ちではサッカーに向き合えないですし、サッカーに対して失礼かなと思い、気持ちは次の世界に向いていましたね。12月に引退して、翌年2月には現在の会社(トゥモローランド)に入社してました。ほとんどゆっくりする時間もなかったですね笑。

セカンドキャリアについて

「セカンドキャリア」ってどういうものだと考えていますか?

セカンドキャリアの定義は難しいと思います。セカンドキャリアを過ごしていて思うのは、サッカー選手の経験も活きてますし、現在のトゥモローランドでの経験も今後のキャリアで活きてくると思うので、分ける必要はないのかなと思います。自分が経験した事が繋がっていくと思いますし、キャリアは続いていくものだと思います。
私自身で言うと、入社して5年目になりますが、お客様から色々な事を学び、一緒に働くスタッフに支えられながら頑張ってきました。昨年7月からは店舗のマネージャーになりました。日本橋髙島屋店には、オープニングからいるのでとても思いれがあります。自分に務まるとは思っていませんが、失敗を繰り返しながら日々勉強してます。正解がない中で、悩むことも多くありますが、やりがいの方が大きいですね。結果が出ても、満足はできませんし、もっとチームが良くなるために必要な事を常に考えますね。
ファッション業界に来ましたが、サッカーを嫌いなったわけではありません。むしろ自分を育ててくれたサッカーに、必ず恩返しをしたいとは思っています。色々な経験をする事で、選択肢が広がるのかなとも思います。

アパレル業をやりながらセカンドキャリ支援もされているんですよね?

そうですね。Jリーグからお話しを頂いて、J現役の選手たちに向けてセカンドキャリアの勉強会の講師を何度かしました。もちろん本業に影響のない範囲でですが。
選手たちの中には、まだまだ次のキャリアに対してピンと来てない人が多いと思います。それは自然な事だと思いますし、まずは選手として活躍する事が第一優先だと思います。自分もそうでしたからね。話した内容が頭の片隅に残っていて、引退時にあの人あんな事言ってたなとか思い出してくれるだけでもいいのかなと思います。
これもサッカー界への一つの恩返しだと思っています。自分も現役の時に知っていたらもっとキャリアの選択肢が広がったかもしれないなって。情報ってすごい重要ですから。FC東京などで活躍された石川直宏さんや新潟などで活躍された千代反田充さんも講師をされてます。
現役の時からサッカー以外の世界に触れることはした方がいいと思います。サッカー選手は練習や試合以外の時間はかなりあると思います。それは社会人になって感じます。時間は本当に有益だと思いますし、平等にある時間をどう使うかは自分次第ですね。自分は空いた時間で、異業種の方と会って色々な話を聞いてました。サッカー選手としてのバリューは、選手の時に使った方がいいと思いますよ。

現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします

プレイヤーとして悔いが残るなら、自分が納得するまでプレーする道をえらんだ方がいいと思います。引きずってしまうのが1番よくないと思います。納得がいくまで、サッカーをやり切ってほしいです。

あくまで個人的な意見ですが・・・
元アスリートは社会人としてかなり戦力になると感じています。選手での経験は間違いなく一般社会でも活きます。例えば「努力を継続する力」、「コミュニーケーション能力」「目標に対してコミットする力」、「協調性」など組織に必要な能力を持っている。人材の宝庫だと思います。なので選手たちは次の世界でも自信を持っていいと思いますよ。なぜなら毎日が勝負の世界で何年もやってきてるんですよ。普通では考えられないし、当たり前ではないですよ。社会人で1年目に活躍できないと次の年解雇とかないじゃないですか。
実際に自分も未経験からファッションの世界に入りました。もちろん簡単ではないですよ。選手の時みたいに、全員が試合に勝ちたい、試合に出たいという人がいるわけではありません。それぞれ仕事に対する捉え方や目標が違ったり、人生感を持ってますから。それが当たり前だと思います。そのメンバー達をリードして店舗の売り上げを作るためにどうしていくかを日々考えています
余談ですがアパレルに興味がある方はトゥモローランドおすすめですよ。販売をしながら、買い付けや生産、本社業務など様々な業務に携われるので、幅広い経験ができると思います。是非興味がある方は、ご連絡お待ちしてます笑。

【廣瀨さんの現職のご紹介株式会社トゥモローランド